1987年三井リハウスのイメージガール「白鳥麗子」として颯爽とデビューを果たした
宮沢りえはまさに天真爛漫な美少女であった。
その天真爛漫ぶりは南野陽子主演の1988年テレビドラマ「追いかけたいの」や
1989年主演映画「ぼくらの七日間戦争(嫌われ教師役は佐野史郎だった)」で
日本中のチェリーボーイの憧れの的であった。
24時間テレビで歌った生のドリームラッシュ(小室哲也作)の歌唱力にヒヤヒヤしながらも
手に汗を握りながらテレビ画面に応援した人も多かった。
また、伝説の歌番組ザ・ベストテンの最終回にベストテン入りするなど話題を振りまいたが
出場せずじまいとなり日本全国のファンを失望のズンドコに陥れた。
その人気の絶大ぶりは、ひいき目に見ても厳しかったヒヨコ声な歌唱力ながらも1990年
NHK紅白歌合戦に紅白初となる中継出演という離れ業を成し遂げたことでもうかがい知れる。
また、紅白出場時の曲は「GAME」は、かの有名なデヴィッド・ボウイ&ジョン・レノンによる
「FAME」の日本詞カバーであり、当時の音楽コアファンを怒りのズンドコに
陥れたことも忘れられない。
その後、1991年ヘアヌード写真集「サンタフェ」(150万部)の発売でピークを迎え
1992年の貴花田(当時関脇)との婚約解消騒動を経て、拒食症・アメリカ移住など
芸能活動一時休止状態となった。
デビュー当時の天真爛漫振りが影を潜め、その激痩せ振りだけが伝えられる日々となる。
とにかく宮沢りえは「ぶっとびぃ〜」の連続で、アイドルカレンダーの常識をくつがえした
「ふんどしルック」や「サンタフェ」告知宣伝として新聞に1面掲載された宮沢りえの
あらわな姿に人知れず「お世話」になったチェリーボーイは後を絶たなかった。
1994年の宝缶チューハイの「すったもんだがありました」というCMに涙した
チェリーボーイも後を絶たなかったのは言うまでもない。
現在は2003年映画「たそがれ清兵衛」で日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞を機に
大人の女としての魅力を滲ませている。
白鳥麗子でデビューした天真爛漫な美少女宮沢りえは間違いなく
バブルを駆け抜けた【女】でありバブルを通過することで
繊細で可憐なイメージを持つ影のある大人の女性となった。